2021年 07月 22日
いじめと音楽家とオリンピック |
東京オリンピックを貶めるべく、参加していた音楽家の非人道的言動を掘り起こしてきて、辞任に追い込んだ様子です。
さて、犯罪行為は犯罪行為として評価、処分、罰せられるべきものです。既に安全圏と思っていたら、謝罪などは(少なくとも自分の人格に踏み込んでまでは)しないでしょう。それ以上責めようが何しようが空しくなるだけ。
ところで、オリンピックは典型的な権威ある運動会、協議会なのですが、これに参加して好成績を上げ、国の名誉と称えられる選手はそれ程人格高潔なのでしょうか?
過去に関係者の汚職やセクハラ・パワハラといった事件になったものから、有力選手の帰趨を巡る、人脈・利害関係者の暗躍等、「業界の掟」にからむ理不尽など闇の部分が大きいことは常識化しています。また、一握りの利権から漏れた人々の惨めな後半生もよく知られているところです。
だから、スポーツはくだらない、競技会等は止めてしまえ、というのではなく、少なくとも法律に触れて表面化してしまわない程度で収まっているのであれば、人々の心に感動やカタルシスや高揚をもたらしてくれる、エンターテインメントとして価値があるのではないでしょうか。
世の中に流布、というか商業ベースで販売されてる「感動」については、人々に広く求められているもので、社会の中で、幾ばくかの前向きな意味のある消費として意義を認めるのに、小生としては吝かではありません。自分がそうした感情を消費するかどうかは別ですが・・・。
実は、運動がダメな方なので、学生時代を通じて、いや社会人になってからも、特定の運動・競技・スポーツができる方々が、如何に排他的、独善的で、スポーツのできない(たかが素人の余暇であっても)人間に対して高慢な態度を取るかを見て、いや見せつけられてきました。
オリンピックの至純を称えて、返す刀で関係者の不道徳を指弾する、というのは、分かりやすい構図ですが、薄っぺらな印象です。(プロアマ問わず)商業スポーツが成立している危うい均衡に思いを致したい。
「スッキリしない小山田圭吾さん「いじめ」問題 組織委は説明を」
h ttps://mainichi.jp/articles/20210721/k00/00m/040/263000c
by Real-Kid
| 2021-07-22 17:12
| 思考の断片