2018年 02月 25日
話題のアニメ映画「さよならの朝に、約束の花をかざろう」 |
佐藤健志氏がほめていたので、「セシウムと少女」に懲りず、アニメーション映画「さよならの朝に、約束の花をかざろう」を鑑賞してきました。地方のそのまた外れのシネコンで封切り朝一でしたが、10名前後の入りでした。
感想については、良いテーマの取り扱いではあったが、(ヤングアダルトと言うか)ジュブナイルの域を脱してはいないのではないか、というレベル。映画としての完成度、と言うと、ストーリーに幾つか穴がある様子なのと、ディテールのリアリティを欠く筋立てがあって、背景、設定等は添え物の印象を受けました。
以下、物語の本筋、内容に係る事象も含んで、作品に基づく考察を試みます。若干の記憶違いの可能性はありますが、大筋は外れていない筈です。
メインテーマとなる、寿命の極端に異なる生物間の死生観の違いや家族としての感情、愛情の交流について、幾つか見どころと問題点を指摘してみます。
第一に、(多分意識的に)長命族の家族制度の描写が暈されています。主人公は両親が居ない設定の様ですが、その友人については、両親がいる描写があります。従いまして、長命族は常識として、生物学上の特性に基づく家族関係、経年的な変化やその時間軸を知っていることになります。この場合、積極的に人間の子供を自分の子供として、家族として愛情を持つのは不自然です。極端に寿命差があり、どういう経緯になるか(いくら人里離れて住んでいても、産品の交易等で交流があるのですから)想像でもできるはずです。最初に主人公が身を寄せる農場で飼っている老犬が死に、遺骸を葬る描写があります。一瞬、長命族と人間の関係や愛情の在り方を、人間と犬(飼い主とペット)と同様と示唆するのか、と思いましたが、その後、主人公と「息子」との家族としての愛情を巡るゴタゴタから、どうも違うことに気付きました。
その部分を回避して、骨肉の愛情を持つ理由として、主人公とその友人が語るのは、同族が滅びて、仲間、家族が全ていなくなった、愛情の対象としてその子供しかいなかった、という背景が語られます。そうです、母親の無償の愛情云々と繰り返し出てきますが、愛情は反面執着であったり、独占欲であったり、言わば一人では生きられない人間の業の側面があります。端的な例では、寺山修司氏がエッセイや作品で取り上げた、実母との確執をご覧になれば理解が進むと思います。一旦そこまで踏み込むか機会があったと思えますが、そのあとは何故か思いやりの行き違いや未熟さへの反省になって、収束しているのは、残念なところです。
踏み込むとすれば、例えば、首都攻防戦のさなかに生まれた主人公の「息子」の子供が「息子」同様戦乱の中で両親亡くなり、孤児になっているのを主人公が発見して、再度その父親と同様に自分の「子供」とすべく引き取って行く、というのが、先述のペットのエピソードと重なると、生物種それぞれの生存時間の違いによる関係と「愛情という執着」の相克や残酷さが表れるのでは。
ちなみに、川尻善明版のバンパイアハンターDのエピローグでDとともに吸血鬼と戦った娘の孫のところに、年を取らない青年姿のDが現れて、亡くなった祖母、かっての仲間の話をするエピソードがあったと思います。こうした収束の方が整合性はあります。
また、人間同士での生存時間の違いであれば、OVA「トップを狙え」や映画「Interstellar」にあるウラシマ効果や冷凍睡眠による、本来の時間から外れてしまって、周囲の人間との間で生じた悲劇として描写できます。本作は、両者の中途半端な合体、最初から生存時間が違ってしまっているのに、同族・本来同一の時間軸を生きるべき生物間の葛藤を描いてしまっている、と言えるのです。
総括として再度申し上げますが、優しく顎のない、しかも年を経ても口調(に表される知識や経験、年を経た洞察力)に進歩が見られないキャラクター、に相応しい、柔らかく深みの無い作品と映りました。
枝葉末節となってしまいますが、ストーリーとして若干混乱があったと思われる事を以下に指摘します。
- 後半、長命族が捕まったという噂の元は主人公ではなかった?工業地帯の下宿から拉致されますが、それは、敵役の帝国の反対勢力と長命族の残党による犯行だった筈です。
- 主人公の友人(帝国の妃にされてしまう彼女の母親としての立場が、主人公の立場と対比されています)が自分の子供に執着する理由付けとなった事件、彼女を救出のため、王宮に侵入した長命族の恋人が眼前で切り殺された、との錯覚の元は何か?
- 長命族の村を帝国が軍事制圧して破壊する理由が不明。長命族の女性を妻として、長命の子孫を求めるのであれば、少数のサンプルを求めて、試験的に婚姻を行うのが現実的。どんな遺伝的な障害が発生するかリスクが不明確だし、滅ぼしてしまってはやり直し、サステナブルな長命特性の取得が不可能になります。(説明がありませんが、男系承継を当然の前提としているところが興味深いところです)
- また、団結した反帝国勢力の攻撃が、いきなり首都、王城攻防戦となるのは荒唐無稽です。先述の「村」であれば一気に侵略できるでしょうが、「国」なら、通常、外国に不穏な動きがあり、遂には国境が外国軍に破られ、地方都市、支城が落とされ、敵軍が首都に迫る、という段取りになります。(TVアニメ「終末のイゼッタ」程度でもこうした描写がありました)
- 終盤、皇太子妃となっていた主人公の友人が高層建造物から飛び降りた時に、飛竜の最後の一匹に騎乗して脱出しようとしていた主人公が、落下する友人を受け取って救出するのは偶然か?勢いに頼った演出の可否について言えば、物語にそぐわない感じがしました。
- 繰り返し出てくるモチーフで、染めた髪の毛や織布の様に、記憶に残す出来事を自由に取捨選択できる、との描写があります。最後に飛竜に乗って王城を脱出する主人公とその友人が、人間との関係よりも長命族同氏の関係に(飛竜同様に滅びゆく伝説の生物の悲劇として)回帰するのがその最後ですが、主人公は天寿を全うした「息子」を看取りに現れますが、その理由は何?また、それまで対比として描かれていた友人の方は人間との間で生まれた自分の「娘」を看取ったのでしょうか?
by Real-Kid
| 2018-02-25 16:29
| パッケージソフト雑感