2007年 11月 04日
良いか悪いかは明確に |
いつも言われる。「男女共同参画社会推進」のお題目。特に役所で。しかし、今行われているのは、女性が賃仕事をすることは良いこと、女性が家事労働をするのは悪いこと。男性が賃仕事をするのは悪いこと。男性が家事労働をするのは良いこと、との印象操作。これが行政目標の表明と言えるか?言えているのは、性差別の表明だけだ。
当然反論があるだろう。固定するのが良くないのだ、と。しかし、現在一般に行われていることをどうして変えなければならないのか。それが全体として効率的だから続けられている。つまり、一々個人の特性を見極めて選択していたのでは間に合わない。いや、0ベースでやり直せば、混乱して効率は下がる。
そうしたら、今度は、少子化対策だ、労働力不足対策だと言い始める。これで切りがないことが分かる。現実的な必要性など無いのだ。
それが、(愚昧な庶民は気付かぬだろうが)「結局は効率向上になる」とか、お為ごかしを言い出すからおかしくなる。我が居住地の自治体でも、企業に男性の育児休暇を取らせるよう、職員を派遣してレクチャーしている様子が全国規模放送局の地方ニュースで流されていた。しかし、自治体で育児休職を奨励して、瀬戸大橋建設費および維持運転費の負担に喘ぐ自治体の財政が健全化する訳がない。要は、代行労働者の臨時雇用、業務引継に伴う職場機能の低下といった負担を経て実現するもの。第一それが効率化や優秀な人材の確保に繋がるのであれば、放っておいても企業は制度を採用するはず。
「性別に係わり無く一人一人が人間として尊重され、自由に選択し、自己実現が出来ることが重要」等とリベラルなドグマを提示してくる方がまだわかりやすい。いや、ドグマの中身は何が「人間として」なのか「選択」なのか「自己実現」なのか全く意味不明なのだが、そんなことを言う人間の思考がどの程度教条に置き換わって固定化してしまっているか、カルトへの被曝と汚染の程度は分かり易い。
はっきり出来ない正論は、つまり人をだますための疑似正義であるわけだ。
当然反論があるだろう。固定するのが良くないのだ、と。しかし、現在一般に行われていることをどうして変えなければならないのか。それが全体として効率的だから続けられている。つまり、一々個人の特性を見極めて選択していたのでは間に合わない。いや、0ベースでやり直せば、混乱して効率は下がる。
そうしたら、今度は、少子化対策だ、労働力不足対策だと言い始める。これで切りがないことが分かる。現実的な必要性など無いのだ。
それが、(愚昧な庶民は気付かぬだろうが)「結局は効率向上になる」とか、お為ごかしを言い出すからおかしくなる。我が居住地の自治体でも、企業に男性の育児休暇を取らせるよう、職員を派遣してレクチャーしている様子が全国規模放送局の地方ニュースで流されていた。しかし、自治体で育児休職を奨励して、瀬戸大橋建設費および維持運転費の負担に喘ぐ自治体の財政が健全化する訳がない。要は、代行労働者の臨時雇用、業務引継に伴う職場機能の低下といった負担を経て実現するもの。第一それが効率化や優秀な人材の確保に繋がるのであれば、放っておいても企業は制度を採用するはず。
「性別に係わり無く一人一人が人間として尊重され、自由に選択し、自己実現が出来ることが重要」等とリベラルなドグマを提示してくる方がまだわかりやすい。いや、ドグマの中身は何が「人間として」なのか「選択」なのか「自己実現」なのか全く意味不明なのだが、そんなことを言う人間の思考がどの程度教条に置き換わって固定化してしまっているか、カルトへの被曝と汚染の程度は分かり易い。
はっきり出来ない正論は、つまり人をだますための疑似正義であるわけだ。
by Real-Kid
| 2007-11-04 16:57
| 思考の断片