2012年 04月 08日
菅直人の犯罪 |
最近ようやく情報が零れ出る状況になり、福島第一原子力発電所事故時の民主党内閣の対応の実像が明らかになってきました。
当時、菅首相が政治主導で東京電力を強談判で動かした、という風評が流れ、最低限、ベントの督促と東電の撤退阻止は菅首相でなければ出来なかった、という論調がブログなどでもまことしやかに囁かれたものだった。
しかし、その実態は、指導者としての存在意義である決断の重みに押し潰されて狂的状況に陥った、最高権力者の肩書きを持つ一個の無能な人間が、システムを悪用して状況の解決を妨げ、状況を最悪に導こうとしたのを、何とか周囲の力で押し留めた、ということでした。
-----------------------------------【以下引用】---------------------------------------
電気新聞 H24.3.23
その時現場は
海水注入
再臨界に固執し迷走
東京電力纏島第一原子力発電所事故では、発生当初から官邸の過度な介入があったことが明らかになっている。この介入が事故対応にどう影響を与えたかは、なお調査が続いているが、官邸の判断が事態を悪化させかねなかった象徴的な事例もある。それがー号機原子炉への海水注入だ。
1号機は被災後、高い原子炉圧力に悩まされながらも、3月12日午前5時6分に1号機側防火水を使った注水を開始した。防火水槽の水がいずれ尽きることを知っていた福島第一原子力発電所長(当特)の吉田昌郎は正午頃、海水注入の準備を指示。東電社長(同)の清水正孝もこれを了承した。
防火水槽から8万㍑の淡水を注ぎ終えた午後2時54分、吉田は海水注入の実施を指示した。これを受け、現場では津波の海水がたまっていた3号機逆洗弁ビットを水源とすることを決定。消防車3台を直列でラインの準備を進めた。
だが、同3時36分頃、1号機で水素爆発が起こり、原子炉建家が損壊。これによりホースを敷き直す必要に迫られ、海水注入を開始できたのは同7時4分だった。
現場の動きはこれがすべてだが、官邸ではこの海水注入を巡って激論が交わされていた。 口火を切ったのは首相(同)の菅直人だ。民間事故調査委員会の報告書によると、同6時頃、菅は原子力安全姿員長の班目春樹に「塩が入ってるんだぞ。その影響は考えたのか』と尋ねた。班目は「再臨搾の可能性はゼロではない」と回答したが、菅が海水注入について首を縦に振ることはなかった。
官邸に詰めていた東電フェローの武黒一郎も、海水注入の事実をつかんでいなかったため、実施までに1~2時闇かかると回答。会議はいったん散会し、同7時半に再度集まることになった。関係者は菅への説得方法を練ったが、この時点で海水注入は実行されていた。東電の解析によれば、1号機ではすでに燃料が格納容器に溶け落ちており、一刻の獅予もない時期だった。状況的にも海水を入れない選択肢などあり得なかった。
武黒から連絡を受けて官邸の動向を知った吉田は、テレビ会議システムを通じて本店に対応を相談した。だが、官邸の意向をおもんばかった本店側の結論も「海水注入中断やむなし」だった。
中断指示も継続
業を煮やした吉田は一計を案じる。吉田は注水作業の一任者を呼びつけ、小声でこう伝えた。「これから海水注入中断を指示する。だが、絶対にやめるな」。この後、吉田は緊急時対策室全体に響き渡る声で、海水注入の中断を指示している。
官邸では会議が再開され、関係者による菅への説得が続けられた。菅がようやく理解を示し、海江田万重経済産業相に海水注入を指示したのは同7時55分だった。8時20分には吉田が“形式上”の海水注入開始を泉源した。
東電、政府、民間の事故調査報告のいずれも、この際に海水注入による再臨界を危惧した者は菅のみだったとしている。菅がなぜそこまで再臨界の可能性に固執したかは明らかになっておらず、政府事故調査委員会は菅へのヒアリングをもって最終的な評価を行う方針だ。
仮に菅の判断どおり海水注入を中断していたらどうなっていたのか。東電の解析によれば、地震発生からおよそ15時間後には燃料が格納容器にすべて溶け店ちていた。1号機では溶融燃料により格納容器の底部が最大65センチメートル侵食されているとみられ、海水注入中断が事態をさらに悪化させた可能性もあった。
(文中散称略)
(特別取材班)
-----------------------------------【以上引用終了】---------------------------------------
こんな状況で我々は何とか生き延びた訳ですが、根本的な問題の解決を目指すので有れば、民主党政権を排除しなければならないでしょう。それ以外に方策は無いでしょう。
【今日は晴天温暖で心まで癒えました】
当時、菅首相が政治主導で東京電力を強談判で動かした、という風評が流れ、最低限、ベントの督促と東電の撤退阻止は菅首相でなければ出来なかった、という論調がブログなどでもまことしやかに囁かれたものだった。
しかし、その実態は、指導者としての存在意義である決断の重みに押し潰されて狂的状況に陥った、最高権力者の肩書きを持つ一個の無能な人間が、システムを悪用して状況の解決を妨げ、状況を最悪に導こうとしたのを、何とか周囲の力で押し留めた、ということでした。
-----------------------------------【以下引用】---------------------------------------
電気新聞 H24.3.23
その時現場は
海水注入
再臨界に固執し迷走
東京電力纏島第一原子力発電所事故では、発生当初から官邸の過度な介入があったことが明らかになっている。この介入が事故対応にどう影響を与えたかは、なお調査が続いているが、官邸の判断が事態を悪化させかねなかった象徴的な事例もある。それがー号機原子炉への海水注入だ。
1号機は被災後、高い原子炉圧力に悩まされながらも、3月12日午前5時6分に1号機側防火水を使った注水を開始した。防火水槽の水がいずれ尽きることを知っていた福島第一原子力発電所長(当特)の吉田昌郎は正午頃、海水注入の準備を指示。東電社長(同)の清水正孝もこれを了承した。
防火水槽から8万㍑の淡水を注ぎ終えた午後2時54分、吉田は海水注入の実施を指示した。これを受け、現場では津波の海水がたまっていた3号機逆洗弁ビットを水源とすることを決定。消防車3台を直列でラインの準備を進めた。
だが、同3時36分頃、1号機で水素爆発が起こり、原子炉建家が損壊。これによりホースを敷き直す必要に迫られ、海水注入を開始できたのは同7時4分だった。
現場の動きはこれがすべてだが、官邸ではこの海水注入を巡って激論が交わされていた。 口火を切ったのは首相(同)の菅直人だ。民間事故調査委員会の報告書によると、同6時頃、菅は原子力安全姿員長の班目春樹に「塩が入ってるんだぞ。その影響は考えたのか』と尋ねた。班目は「再臨搾の可能性はゼロではない」と回答したが、菅が海水注入について首を縦に振ることはなかった。
官邸に詰めていた東電フェローの武黒一郎も、海水注入の事実をつかんでいなかったため、実施までに1~2時闇かかると回答。会議はいったん散会し、同7時半に再度集まることになった。関係者は菅への説得方法を練ったが、この時点で海水注入は実行されていた。東電の解析によれば、1号機ではすでに燃料が格納容器に溶け落ちており、一刻の獅予もない時期だった。状況的にも海水を入れない選択肢などあり得なかった。
武黒から連絡を受けて官邸の動向を知った吉田は、テレビ会議システムを通じて本店に対応を相談した。だが、官邸の意向をおもんばかった本店側の結論も「海水注入中断やむなし」だった。
中断指示も継続
業を煮やした吉田は一計を案じる。吉田は注水作業の一任者を呼びつけ、小声でこう伝えた。「これから海水注入中断を指示する。だが、絶対にやめるな」。この後、吉田は緊急時対策室全体に響き渡る声で、海水注入の中断を指示している。
官邸では会議が再開され、関係者による菅への説得が続けられた。菅がようやく理解を示し、海江田万重経済産業相に海水注入を指示したのは同7時55分だった。8時20分には吉田が“形式上”の海水注入開始を泉源した。
東電、政府、民間の事故調査報告のいずれも、この際に海水注入による再臨界を危惧した者は菅のみだったとしている。菅がなぜそこまで再臨界の可能性に固執したかは明らかになっておらず、政府事故調査委員会は菅へのヒアリングをもって最終的な評価を行う方針だ。
仮に菅の判断どおり海水注入を中断していたらどうなっていたのか。東電の解析によれば、地震発生からおよそ15時間後には燃料が格納容器にすべて溶け店ちていた。1号機では溶融燃料により格納容器の底部が最大65センチメートル侵食されているとみられ、海水注入中断が事態をさらに悪化させた可能性もあった。
(文中散称略)
(特別取材班)
-----------------------------------【以上引用終了】---------------------------------------
こんな状況で我々は何とか生き延びた訳ですが、根本的な問題の解決を目指すので有れば、民主党政権を排除しなければならないでしょう。それ以外に方策は無いでしょう。
【今日は晴天温暖で心まで癒えました】
by Real-Kid
| 2012-04-08 22:07